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むろん、この先にあるのが「森の映画館」です。
そこで「ぼく」は、映画を見ている最中に核攻撃にあうかもしれない。あるいはその不安にさいなまれながらも、何ごともなく生きていくかもしれない。途中でちがう道をたどっていたら、今とは別の人生があったのだろうかとか、あるいは結局は同じだろうとか、思うかもしれない。そしてもちろん、何とも思わないかもしれない。
そうして物語をつむぐうちに、この毛糸をたどる道すじは、人類の歴史と未来のメタファー、あるいは人生の隠喩のようにも思えてきます、いわば第三者的に。が、結局のところ最後には、私にとってはそれはそんな一般的でバーチャルなものではなく、私の森での物語として、今現在の私と離れたところにあるまだ見ぬ「未来」の物語などととしてではなく、今このようにして私に感じられているもののひとつとしてのそれでしかありえないことに気づきます。つまり、私はそんな風に私自身から離れてながめられた物語の主人公のようには振る舞わない。言い換えれば、私の振る舞いが私以外のところから割り振られたりはしないし、もしそういう「私」を想定するなら、もうそれは私ではないだろうと思います。
私にとって「未来」とは、そのようにいつか来るだろう今ここにない時ではなく、もっと具体的なリアリティをもったものです。それは美術館を出てもそこに現に存在しているようなもののことで、そこには必ず私の席があるような世界のこと、逆に言えば、私の席がなくなってしまえば、世界自体が存在しないようなリアリティをもった世界のことです。
でもおもしろいのは、そのように結局私の「未来」がひと通りしか存在しないにもかかわらず、それでも私の外には幾通りもの「未来」が存在して、当たり前のこととして営まれていくし、それこそが健全な現実、もっと言えば「未来」であるという事実です。
展示室内でのバーチャルな身振りや内省につづいて、外へ、街へ、人の中へと「戻った」とき、そうしたことを感じるだろうことを思い描いて、私はそれを「未来」ととらえ、大阪という街までを作品として含んだひとつの提案をしたいと思います。
作品展示プラン
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| このコンクールは現代美術界で活躍するアーティストを審査員、その単独審査によって新しい才能を発掘することを目的としたもので、今回はヤノベケンジ氏を審査委員、テーマを「未来の物語」とし、氏の作品「森の映画館」とともに展示する作品プランを募集する、というもの。 |
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