Driftwood
流 木

Sendai Art Annual 2004
せんだいアートアニュアル2004
2004/11/6-21

Sendai Mediatheque
せんだいメディアテーク


 

(展示解説)

この作品は、紙ねんどでつくった支持体に、テンペラで着彩したものです。
絵を描いていて、画材店などで売っている決まったサイズに描くことに違和感をおぼえる人は多いと思います。そうした意味で、この作品は、私にとっては絵画です。自ら対象を描くのに適した支持体をつくり、対象を見ながらそれをうつしとるというその行為は、絵画の制作と何らかわるところがありません。 しかし直感的に言って、つまり常識的に言って、これを絵画と呼ぶことには抵抗があるように思います。ではそれはなぜなのか。
私はそれが、この場所からここではない場所、"another place"へと開かれてある窓だからではないかと考えます。そして、ある「世界」から別の「世界」へ、それらを成立させている、対象がになう意味の配列の変化を貫いて、それをそのようなものとして認識することを通して相互的に「世界」を成立させるもうひとつの窓としての、この私。
「直感的に言って、すこしおかしい」というその感覚がいつまでもこの私の中に残っていること。逆に言えば、これを絵画として受け入れてしまえば、もうそれは「ここ」へと変容してしまったということで、作品は「完了」ということになるのだと思います。

 

 

 

 

河原の石を描きなさい。ひとつひとつ。それが河原ひとつ分になるまでつづけなさい。

ある日付を選んで――たとえば七夕の日などを選んで――あちこちに住む友人に、ある規則にそった行いをしてもらいなさい――たとえば「願い」に関することばとものを、同じふくろの中に入れて飾ってもらい、そのようすを写真に撮って送ってもらう――そしてそれを一か所に集めて展示しなさい。

土で伝馬をたくさんつくりなさい。それを昔の宿場町にもって行って、そこを通る人に運んでもらいなさい。

歩きなさい。ことのはのふる杜の道を。あつく降りつもった言の葉を足の裏に感じながら。そしてあなたの心にしげる言葉を、今度は誰かの道しるべにしなさい。

あるひとがこどもの頃にかいたらくがき帳を借りて、その絵や字をそっくりにうつしとりなさい。ひとが何になつかしさを感じるのかをインタビューしなさい。その一覧表をつくりなさい。

長い板を用意しなさい。田舎の道路わきに捨てられた古い板。それと同じ長さの板を買い、そっくりに塗って、それをもう一本つくりなさい。

毎日飲むコーヒーの出しがらを、毎日窓際でかわかしなさい。それを小さなビニールに入れて、飲んだ日付をふっていきなさい。ダンボール箱がいっぱいになるまで。あなたの一生が終わるまで。

丸太や流木を拾いなさい。山や海へ出かけて行って。それをもうひとつつくりなさい。それらを並べ、長い時間をかけてながめなさい。

ごみを拾いなさい。よく晴れた日をえらび、あなたの家からぐるりと一日かけて。集めたごみを作品として展覧会に出品しなさい。

毛糸を結びなさい。あなたの街のいちばんひと通りの多い通りに。あなたの街の美術館、画廊、大学、中学校に。海に山に川に森に。あなたの知っている/あなたの知らない人の間に。そして羊を飼っている国へと出かけて行って、あなたもいっしょに毛糸を紡ぎ、今度はそれを結びなさい。

 

流木を拾いに

流木をつくる

 


 

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