実施レポート

もとまちアート海廊2007の意義
と展望

門脇篤まちとアート研究所
2007/10/20


「もとまちアート海廊 2007 」開催の主旨と意義

塩竈の夏を彩る 7 月 1 日から 8 月 10 日までの 40 日間にわたって行われた第一回目の「もとまちアート海廊〜しおがまを歩こう」は、サブタイトルにもあるように、これに先行して「本町通りまちづくり研究会」が継続的に行ってきた「くるくる広場」でのイベント開催による集客効果を、「点」ではなく「線」へ、つまり、「くるくる広場」からアートによる導線を引くことで「まち歩き」をしてもらい、「本町通りのよさ」を外から来た人に(再)発見してもらおうというものでした。
2007 年度は初年度ということもあり、おそらくは「アート」の力はまちの方にとっては未知数であり、警戒感などもあるだろうということ、そしてまたプロジェクトのプランニングやディレクション、作家への謝礼にかかる経費をゼロ予算でやるという条件から、実際に営業をしている商店街の店舗には、パブリックな空間でも鑑賞に十分耐えられ、なおかつ「門脇篤まちとアート研究所」のコネクションを通じて今回は無償でも参加してくれるという若手作家をセレクトし、制作費が出ない関係上、旧作をお借りするというかたちで、「見せ方」にあくまでこだわったディレクションを行いました。それが結果として、「まちそのものがアート」というコンセプトにつながり、期間中、地元マスコミのほとんどを通じて宣伝され、普段は見かけることのない人の通りを実現することとなりました。
また、展示作品数を増やす意味から、「美術計画」と連携。共催というかたちで旧コ陽シティ銀行の展示をほぼ担当してもらいました。企画内企画というかたちで、経費は「美術計画」が自費で開催するという方式で行いました。結果として、多くの作家が参加。廃墟と化していた銀行跡をそのまま使った展示ということで、内外に大きなインパクトを与えることになりました。
さらに、アートによる地域間ネットワークとして、東鳴子との間に「塩の道」を蘇らせ、それぞれの土地のもつ幸でもって「日本一うまい握り飯」を作るプロジェクト「アートライク“塩の道”」が行われ、地域を越えた取り組みを行うことができました。
こうしたことから、塩竈・本町通りはアート=未知の価値を持った文化を受け入れることに積極的に取り組む先進的な地域として、外に向かっては目に見えない価値を築きつつある一方、塩竈在住の方々に対しても、自分たちの住む塩竈で新しい動きがあると強いインパクトを与え、今度やるときにはぜひ協力したいとのお声がけをさまざまな方面からいただき、期待感が高まっているのを感じます。

「もとまちアート海廊 2007 」の反省点と今後の展望

「いつもは来ないような層が本町通りに訪れた」「マスコミで大々的に取り上げられた」――しかし、第一回目の「もとまちアート海廊」を終えて、街には何か変化があったでしょうか。
もし、あったならすばらしいことです。しかし、嵐のように「アート」がやって来て、ただ去って行ったのなら、それはただの「いい思い出」に過ぎません。後に残るのは「祭りの後の静けさ」です。
外からやって来たアーティストにとってはそれでもいいかもしれませんし、本町通りと直接的な利害関係のない来場者にとってもそれでいいでしょう。しかし、そこでご商売をし、そこを生活の基盤としている方々にとっては、それだけでは開催を続けていくことは難しいのではないでしょうか。しかも、ただ珍しかった第一回目とちがい、第二回、第三回となるにしがたい、企画自体が通常化すると、魅力的な変化・新しさを求められるでしょうし、それなのに毎回ボランティアではアーティストは確実に足を遠ざけるでしょう。これでは企画は先細りし、「昔そんなことがあった」と回想されるものになるしかありません。
では、どうしていったら、魅力的で持続可能な事業として発展していけるのでしょうか。
当研究所はこれまでの経験を踏まえ、以下のように考えます。

@街自体が変わること

A広範な地域協力者を増やすこと

B地域をテーマにすることのできる質の高いアーティストとの関係を構築していくこと

以下、これらについて説明していきます。

@街自体が変わること

まずは、当然のことながら、街自体が変わることだと考えます。これは別に多大な投資をして店舗を新しくするべきだというようなことではありません。企画に直結したサービスや各店舗独自の取り組みなど、それぞれのお店が知恵を出し合い、企画を「街のもの」としてみんなで盛り上げていく「空気」を作り出すことです。
「アート」を見に来た人への値引きや「アート」と連動したメニュー、商品の考案など、知恵を出し合えば、いろいろな取り組みが実現することでしょう。日曜は休みとなっている休業日についても「街」として話し合い、通りには縁台を出したり、店舗内に無料休憩所を設けるなど、「街」全体が変わっていくことが必要だと考えます。
「アート」を鑑賞しに来た人が最も立ち寄りそうなたぐいのお店はどこかと言えば、喫茶店やレストラン、おみやげ店です。しかし本町通りには「おさんこ茶屋」や「バハティー」「セカンドキッチン」といった飲食店があり、また名だたるみやげ店が立ち並んでいるものの、日曜は休みだったり、営業時間が短かったりと、来場者に利用しにくく、せっかく来た来場者を大型店や他地域へとられている状況にあるのではないかと思います。
また、来場者に「アート」について尋ねられたとき、「よくわからないけど、やっているみたいだ」的な対応をされては、来場者は興ざめしてしまいます。ある程度「アート」について自分の言葉で語れ、来場者とキャッチボールができることが、「この街のよさ」であり、「文化のある街」としての価値です。
設備投資をして店舗を立派にし、品揃えを豊富にして自分のお店だけがよくなればいいという発想は、大型店の発想です。商店街がこれから持続的に発展していくには、商店街としてのよさ・価値を見直し、それを提示していかねばなりません。そうした商店街のよさこそが、「街が一体となっている空気」であり、「商店街という文化」「商店街という安心感」なのです。
もちろん、さまざまな「垣根」があると思いますが、ぜひ本プロジェクトをきっかけ、起爆剤とし、街へと行っていくアーティストをうまく使うことで、街をひとつにしていく取り組みを本気で行っていかれてはどうかと思います。
逆にアーティストにしても、街へ入り込み、一般の方に自分の作品のよさを本気で伝えられなければ、アーティストとして失格であると私は考えています。そうした、「アーティストを育てる街」「アートを育む企画」となっていけば、愛される街となり、捨ててはおけないと、おのずと人が集まって来るのではないでしょうか。

A広範な地域協力者を増やすこと

いつもは来ない層がやってきたり、マスコミに露出した結果、では実際、本町通りへ足を運んだ方が、商店街にどんな効果をもたらしたと言えるでしょうか。おそらくは「空気が一時的に変わった」といった程度ではなかったかと思います。
もちろんそれはとても大切なもので、お金にはかえられない価値ではあるのですが、長期的に蓄積していってはじめて見えてくる財産=文化であり、短期的な結果を望めません。
しかし、企画を毎年継続するとしたら、やはり短期的な効果もモチベーションを維持するためにも必要なことです。
では、目に見える効果とは何かと言ったら、これは近場のみなさんの協力に尽きると思われます。
本町通りの中の、一部の人たちがやっている企画、という閉じられた空気を感じると、土地の人はかえってやって来ません。何も知らない、なんら利害関係のない遠くの土地の人がやって来るだけです。この人たちは、訪れたときには何がしかのお金を落とすかもしれませんが、企画が終わってしまえば、それきりになる可能性大です。
しかし、近場のみなさんは、「本町通りはがんばっているし、おもしろい。自分たちの誇りだ」となれば、少々使い勝手が悪くともリピーターになってくれるでしょうし、外からお客さんが来たときなどにも、塩竈神社や魚市場だけでなく、本町通りを土地の名所として紹介してくれるようになるかもしれません。何より、ボランティアスタッフとして働いてくださるのは、家族経営中心で始終お忙しい商店街のみなさんではなく、子どもが手を離れたサラリーマンの奥様や学生さんなのです。
塩竈の住宅地などまで含めた塩竈圏という考え方で、さまざまな関わりを求める募集や企画を行うことで、こうした層を取り込み、本町通りの「ファン」をつくっていくことが、短期的にも長期的にも効果的であると考えます。
そのためには、婦人会との連携企画をあえてつくったり、カルチャーセンター的な発表会の舞台を企画内で行うことも必要でしょうし、啓発を行うための講演会やワークショップや、「何かをともにやった」感を盛り上げるような仕掛けも必要です。すでにくるくる広場のイベントで出場いただいている方々のコネクションなどをフルに活用し、アーティストを交えたこまめなミーティングなどから、おもしろい発想が生まれてくるとベストではないでしょうか。それは「私たちの企画」となり、高い意識で参加していただけることとなるでしょう。
本町通りを、閉じられた空間ではなく、塩竈のみなさまの「舞台」と考えることが、地域を取り込み、「いい街」をつくっていくための姿勢ではないかと思います。「アート」はその中のひとつの仕掛けです。

B地域をテーマにすることのできる質の高いアーティストとの関係を構築していくこと

街をひとつにし、地域をひとつにしていくために必要なことが、「街のよさ・価値の(再)発見」と「協働(いっしょに何かをして汗を流すこと)」です。
これまで経済活動や市民活動の方面で、街の特産品づくりや町内会活動などが、繰り返し行われてきたのではないかと思います。それらももちろん、非常に大切なものであり、地域の基盤づくりとして欠かせません。しかし、そこに欠けている大切なものがあります。「感動」です。
「感動」なんて抽象的なものをと思われるかもしれませんが、「感動」のないところに人は投資しませんし、力も貸しません。本気でやろうなどと考えません。逆に「感動」があれば、人はおのずと集まってきますし、多少の無理を承知で手伝ってくれます。「感動」はお金では買えませんし、どんな品揃えがいい大型店でも売っていないからです。
その「感動」をともにつくりあげる仕掛けとして、私は「アート」を提案しています。
「アートは難しい」というようなことがまことしやかに言われますが、別にそんなことはどうでもいいのです。アートの専門家であるならまだしも、普通に生活する一般の方にとっては、それが「感動」を与えてくれるかどうかが問題であり、難しいかどうか、優れているかどうかなど、どうでもいい話なのではないかと私は考えています。
アーティストに「これは何なのですか」「ここでこれをやることが、塩竈とあなたにとってどういう意味があるのですか」と尋ねてみてください。もしきちんとしたこたえを得られないようであれば、そんなアーティストや作品など、街にとっては無用ものです。アートの専門家やアート好きの間で見せ合って喜んでいればそれで十分なのではないでしょうか。
別に流暢に自分の作品の意味やよさを説明できなければならない、と言っているのではありません。アーティストや作品から、それをつくる意味やすばらしさが伝わり、街に住むみなさんがそれをともにできるか、ということなのです。もし何人かにでも共感を得ることができれば、その人たちが、作者に代わってその作品について代弁してくれることでしょう。逆にそうした「代弁者」がいない作品は、この街には必要のないものなのだろうと思います。
そうして制作・展示されるようになったアート作品は、何よりも街のものになります。街の人々は「感動」しているからこそその作品を受け入れるのですから、必ずその「感動」は訪れた人にも伝わります。だから、街の人が「感動」できないような作品を展示してはいけません。そうした意味で、街の人とアーティストの間に、あるいは街の人どうし、アーティストどうしの間に緊張関係が生まれるかもしれません。しかし、それは真剣に街のことやアートのこと、より多くのみなさんのことを考えていく上では避けようのないことですし、真剣さゆえのことであれば、必ずや乗り越えた暁には、以前よりもいい関係が構築できているに違いありません。
そしてそのためには、街の人も作品や「アート」について、ある程度の勉強をする必要がありますし、アーティストにも街のことを十分にリサーチしてもらう必要があります。
専門的な知識は必要ありませんが、どうしてそういうものが「アート」として呼ばれ、つくられるようになったのかといった、自分たちなりの素朴な疑問は、アーティストを呼んだ勉強会を開くなどして解消していくべきことだと思います。そしてそれがお互いの信頼関係や、質の高い作品制作、街の文化レベルアップにつながると思います。
問題はいかにしてそうしたアーティストを確保するかであり、ボランティアだけでは難しいでしょう。核となるアーティスト3〜4人に謝礼を払って依頼し、そこに公募でやる気のある人をほぼボランティアで募る、というのが現実的かと思われます。

 
   

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