ウォーク
もとまちアート海廊
Motomachi Art Walk

もとまちアート・シンポジウム

2007年7月1日

 


 

7/1、「もとまちアート海廊」のオープニング時に行われた「もとまちアート・シンポジウム」の様子を、以下にテキスト化しました。

金藤美智子:
エーコさん(※出展作家。シンポジウム直前に衝撃的なパフォーマンスを行ったの後でとってもやりづらいんですが、それ以上に盛り上がっていきたいと思います。それでは、アートにまつわるシンポジウムということで、こちらの方でいろいろとお話をしていただきたいと思うんですが、今日は街のスピーカーでも流れているということで、堅苦しいシンポジウムではなく、おしゃべりの延長という感じでやっていきたいと思っています。
では最初に、簡単な自己紹介と今日のシンポジウムに対しての意気込みのようなものを一言ずつ、聞かせていただきたいと思います。
私は今日の進行役をつとめさせていただきます、もとまちアート海廊コーディネーターの金藤美智子です。よろしくお願いいたします。

高梨英行:
みなさん、こんにちは。今日のアートウォーク、本当にたくさんおいでいただきまして、ありがとうございます。私は本町で「器の郷 ひろ埜」という伊万里焼の専門店をやっております、高梨英行と申します。よろしくお願いいたします。
今回、若い芸術家の方々とすばらしいジョイントを組むということは、本町のよさとあいまって、新しい商業形態も生まれてくるんじゃないかと期待しております。

伊勢誠一:
同じく、本町通りの御釜神社前で、「やまだ屋」という昔なつかしい駄菓子屋をやっております。お帰りの際にはどうぞ、くじ引きとか、たすけとかやっておりますのでご覧ください。
私も同じく本町通りまちづくり研究会の方で、街の中で、楽しさ、うれしさをいかに表現してお客さんに喜んでいただけるかなというような感じでいろいろ考えていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

只野敏雄:
えー、みなさん、こんにちは。本町通り、壱番館の中で靴屋アンド足屋をやっております、只野と申します。楽しく仕事をしていくのが幸せだなといつも思っています。お客さん来ないとか、街がさびれていくということは、先ほどの歌(※シンポジウム前のエーコ氏によるパフォーマンス)じゃないですけど、「あー」と言いたくなるような生活はしたくないと常々思っています。

門脇篤:
仙台在住のアーティストで門脇と申します。もともとは絵を描いていたんですが、その後、街の中でアートをするという形態に移っていって、街の中でアートを飾る場までつくっていくというプロジェクト・アートというようなものを最近やっていて、そんな中で本町の方とお会いすることができ、今日このようなことになったというしだいで。きっと梅雨時にもかかわらず、今日こんなに晴れたのはみなさんのおかげじゃないかと思っています。

佐藤幸三:
「美術計画」の佐藤と申します。「美術計画」は30人ほどの作家さん含めて、建物の中でいろんなことさせていただこうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

金藤:
ありがとうございました。今ご紹介いただいたみなさんとごいっしょに、今日はお話をしていきたいと思います。
まず最初は、今日、塩竈じゃないところからいらっしゃったという方、どのくらいいらっしゃいますでしょうか。一番遠くから来たんじゃないかという方、いらっしゃいますか? みなさん、仙台から?
塩竈じゃないところからいらっしゃった方も大勢いらっしゃると思うんですが、なぜではこの塩竈でアートをすることになったのか、というあたりのお話から、門脇さん、ぜひお聞かせ願いたいのですが。

門脇:
塩竈というのは、どうしても通過点といいますか、仙台から松島あるいは石巻へと遠出する途中にある街で、本町通りまで入って来ることはほとんどなかったんです。ところが、鳴子の方たちとアートをする機会があって(※「GOTEN GOTEN アート湯治祭」のこと)、この鳴子の方たちが塩竈のみなさんを紹介してくれた。そういったご縁がご縁を呼んで、こちらへ来ることになりました。
もちろん、紹介してもらったからといって、そこに突然アートが生まれるわけではなく、塩竈のみなさんが培ってきた、例えば商店街の両側に大漁旗を掲げる企画、これを3年にわたってすでに繰り広げられていた、この上に、じゃあもうひとひねりしてはどうか、ということで、提案させていただいたところ、いいんじゃないかという非常に広い心で受け入れてもらい、始まったのが、この「もとまちアート海廊」です。
どうしても成功しなくてはならないとか、これが失敗したらみんなつぶれてしまうとか、そういった余裕のないところで始まったものではなく、おもしろいことができれば住んでいる自分たちもおもしろいし、街に来てくれた人もおもしろがってくれるのではないか。半分、やせがまんも入っているかもしれませんが、そうした余裕の上に、このアート、文化というのはあるんじゃないか。そういうものに乗ってくれる余地が、この本町にはあったということなのかなと思っています。

金藤:
ありがとうございました。今回、展示会場はこちらの建物(※「くるくるアートセンター」 と呼ばれる旧徳陽シティ銀行)とストリートということで、ふたつに分かれているのですが、美術館に行ってアートを楽しむ、というのはわかりやすいですが、今日、本町に来て、どこから見たらいいんだろうかと思っている方もいらっしゃるかもしれないんですけど、そのあたり、どのように鑑賞すればよろしいのでしょうか。

門脇:
今回のコンセプトは、みなさんにお配りしておりますマップ、チラシにも書いてありますが、「街にはすでにアートがあふれている」。
今回、現代アートという分野のアーティストを何人か連れて下見を行ったのですが、各人各様に「ここはおもしろい」とか「自分のアートではとても太刀打ちできない」というような感想をもらしていました。これはアート作品で街を埋め尽くしてしまうよりも、アート作品をポツリポツリと置くことで、街そのものを見せた方がずっとおもしろいんじゃないかと、そんな風に思いました。
そこで今回は街の中出自分なりの「アート」をさがしてもらうという見方。ただそれだけですと、どうしてもアートを期待して来た方をがっかりさせてしまうかもしれないと思いましたので、「美術計画」のみなさんのお力をお借りして、この旧徳陽シティ銀行――「くるくるアートセンター」という新しい名前をいただきました――ここで、「美術計画」さんたち30人をこえるみなさんの意欲作を見られる。
街から現代アートまで、すべて見られる。こういう企画になっております。

金藤:
今度は街のみなさんにおうかがいしたいのですが、現代アートだとか、この街にどんなものがやって来るんだろうと不安もあったのではと思うのですが、そのあたり、率直に感想をいただけますか。

伊勢:
はじめに芸術ということを聞いた時には、美術館とかの立派な額に入っている絵であったり、そういったものが浮かんだんですけども、いろいろな話の中で聞いたり見たりしているうちに、今回やって来た芸術は、そういったものとは絶対に違うものなんだなぁと。でも参加して誰でも気軽に楽しめそうな、この建物(「くるくるアートセンター」)や街中にも、無造作にポンポンと置いてあったり、何かおもしろいことになっていくのかなと思っています。

高梨:
アートという言葉から受けるイメージというのは、完成されたもの、というものですね。しかし身近なもので、自分の心にあったもの、これから癒しというものを重視した時代をすごしていくために、今回のようなものも必要なんだなぁというようなことを、自分の中で感じました。

只野:
ぼくはですね、話を聞いたときもよくわからなかったし、今もよくわかんないですね。ですから、ぼくにとってアートは「えーと」みたいな。「アート」じゃないくて「エート」。門脇さんに、「ただのさんのところもアートですよ」と言われたんですけれども、よくわかんないですね。
よくわかんないまま40日間、過ごしていって、最後に41日目に、「あ、ぼくもアートだったのかな」と思えればいいのかなと。41日間、精進して、アートの仲間入りしようと。
今はわかりません。

金藤:
ありがとうございました。みなさんそれぞれ、よくわからなかったというお話ですとか、美術館で見るようなアートだと思っていたけれども、実際、街にやって来たアートは自分たちにとって身近なものだったというようなお話だったのではないかと思うのですが、会場の他の方にもお聞きしたいと思います。
今回、本町にアートが来るということで、何か不安に思っていたことなどありますか。

阿部平太郎:
非常によかったなと思います。

金藤:
だいたいここに来た時、(作家の)みなさんは塩竈出身なんですかというような質問を受けたのですが、塩竈出身ということではなく、それどころかほとんど塩竈からすればよそ者の方達が来て盛り上げていく感があるんですが、公共の公園とか、広場とかしか使わせてもらえないのかなと思っていたのですが、そうではなくて、商店街の中にどんどんアートが入り込むことができたというのが、逆にこの街のふところの深さに驚きました。このあたり、門脇さん、去年から塩竈に入り込んでいらっしゃったんですよね。

門脇:
去年の12月に「大漁旗ツリー・プロジェクト」ということで、みなさんが座っているこの「くるくる広場」に、大漁旗を使った18メートルのツリー状のアート作品をつくり、その内側にイルミネーションを光らせる――イルミネーションは本町通りまちづくり研究会の方がたが、以前から取り組まれていたものなのですが――といったことを昨年、まず手始めにというか、やりました。
どうしても街の中でアートをやっていると、公園ひとつ使う場合にも、個人の力でどうにかなるものでは全くなく、人と人とがひとつの目的をもって、同じ方向に向かないと動きになっていかないし、どんな素晴らしいものを作ったとしても、それをいいと思う人がいなければ――いいものに結果的には「なる」んでしょうけど――実際に活きている人の幸せにはなっていかない。そういう意味で「大漁旗ツリー」ということで、「まち研」のみなさんに「なかなかおもしろいんじゃないか」と言ってもらい、そうした積み重ねの上に今回のアート・ウォークもあるのなかと思います。
突然人の家に上がり込むようなことは、アートに限らず失礼なことで、信頼関係というのが、今回の企画を始める上でも、非常に重要でした。

金藤:
「まち研」のみなさんのご理解、ご支援あって、今回、ここまできたと思うんですが、「まち研」とはそもそも何なのか、そのあたり、ご説明願えればと思います。

伊勢:
ここは昔の塩竈の中心地でした。くるくる広場を少し行くと、鹽竈神社の末社の御釜神社、塩をたいた釜が保存されているところがあります。ここを中心に、塩竈が発展してきたというところです。ここ15、6年前までは、宮城県でもけっこう大きな商圏をもった街でした。ところが、だんだん人がいなくなり、店のシャッターが閉まったり、さびしさを感じる年を重ねています。
そこで本町を愛する人たちが呼びかけてできたのが、この「本町通りまちづくり研究会」です。
ですから、本町通りの商店街がやっているんじゃなく、昔の通りの楽しさをもう一度取り戻したいとがんばってみようじゃないかということで、本町通りを中心にしながら、それに賛同する方々をあわせ、40数人でがんばっているわけです。

金藤:
40人の団体がここに結束して街を盛り上げていくという気持ちが高まっているところではないかと思うのですが、今いる「くるくる広場」の「くるくる」って、何ですか。みなさんも疑問に思っているようですが。

只野:
「くるくる」というと、「くるくるパー」。普通ではできないことも、ちょっとねじがはずれているとできちゃうのかなぁと。そんな人がいっぱい集まってくれば、常識じゃできないこともできる。それにもちろん、「来る来る」。そんな意味です。
軽いんですよ、ノリが。真剣には考えなかったですね。ネーミングは。

金藤:
なるほど。軽いノリというひとことでは片づけられないとは思いますが、人を呼び込むにはそういうノリも大事ですし、楽しさをイメージさせるような名前というのも必要ですね。そういう意味では「くるくる」という名前は、今日は実際人が来る来るだったと思います。
今度は「美術計画」さんにおたずねしたいと思うのですが、いろいろな街で展示をしていらっしゃったということですが、今回、本町通り「くるくるアートセンター」でやろうと決意したのは、どのような経緯ででしょうか。

佐藤:
「美術計画」という名前で活動することになる以前から、様々な場所や建物、土地、山の中であったり、そうしたところで様々な美術作品を展示するということを実行してきたグループというか、そういったことに共感した方が参加してきたというようなかたちのものなのですが、特におもしろいなと思うのは、街中にのこっている建物であったり、かつては特定の目的をもった場所だったのに、その目的で使われなくなってしまったり、そういった場所で美術作品と言われるような表現物を置くことによって、また前と別の意味がそこから生まれてくるんじゃないか、そんなところにおもしろさを感じている方がやってみたいと広がってきたんじゃないかと。
ポスターにその特徴があらわれているのですが、よくある工事現場の建築計画のお知らせと、わざと似せております。というのは、その場所で一定期間、あるい設置をしますという告知を含め、そこでいろんなことをさせていただきたいということを含めての表示で、今回、門脇さんから元銀行の建物を使って作品発表をできないかとお伺いしたとき、様々な方にお声がけして、何回か下見会をし、参加した方が非常におもしろい、街の中にこうした建物があり、ここに作品発表展示ができるのであればと、この場所をみてさらにインスピレーションをひろげたり、作品の構想をつくったりという方が多かったと思います。
ここに40日間、展示していただくものについては、できあがったものを置くというよりは、この場所で40日かかってできあがる作品みたいなかたちで見ていただければと。今日、設置をして終わり、なのではなくて、今日から40日かけてそれぞれの作品、作家の方の物語が始まっている。価値観が違うということも深めていき、いったいこれは何だったのだろうということを思い、考えながら、40日間、自分の中で作品自体どう変わっていくのか、といったことを見ていただければと思います。この中で約30名分の作家の方が30名分の物語を見る方、感じる方が距離をはかりながら、おもしろいと思ったり、首をかしげたりしながら、見ていただければと思っております。
40日間、長丁場になりますので、中には作品の入れ替えをしたり、作品がかわっていったりするので、1回見て終わりじゃなく、また次来たときに、何度か足を運んでいただき、30人分の物語を見つめていただきたいと思います。

門脇:
特に、通りに面した4F部分でしょうか、塩竈在住の斎藤文春さんの作品なんかは、今ちょうど夏の味わいのある青い光の差し込む作品なんですが、レントゲンフィルムか何かを使われていて、だんだんに黒くなっていくそうです。今日の青い輝きを覚えておいていただいて、それから何日かしていくと、こんな作品だったのかなぁと。斎藤さんは水墨画の作家さんなので、だんだんと斎藤ワールドになっていく、という楽しみ方でしょうか。

金藤:今うかがったように、美術館展示のように、ある一定期間、同じ展示をするというのではなくて、期間中変わっていったりといったものなんですね。

佐藤:
ここにあった作品が、他で見られるかというと、そういうことではなくて、今日ここで表現しているのは、この期間、ここにしかないもの。この作品をどこか別の場所へもっていって、ということはおそらくない。この40日間しか存在しない作品だということです。この場所にしかないのだというようなことを思っていただければと思います。

金藤:
そのあたりも新しいアートの楽しみ方ではないかと思います。
会場の方におうかがいしたいのですが、ここが銀行だったときに利用されていた方はいますでしょうか。
(会場――いない)。
建物の中に入ってみての感想をお願いします。

来場者1:
光がたくさん入って、展示物が見やすかったです。部屋が区切られていて、作家の個性がとても魅力的でした。

来場者2:
この建物自体がたいへん魅力的というか、非日常感が、見ていてとてもおもしろかった。

金藤:
建物自体が新鮮ということですね。ここに来ただけでも意味があると思われた方も多かったと思うのですが、街の方におうかがいしたいと思います。この建物がこうして使われたことについてどう思われますか。

高梨:
ほぼ全作品を拝見したのですが、ちょっと怖いなと思う作品も何点かあり、おのおのの価値観によってそうしたものをつくったんだろうなと、感心いたしました。完成されたアートというより、身近なアートと先ほど私言ったんですが、本当に目の前にあるものをどのように加工するかによって、新たなアートがうまれてくるのを人文なりに発見したんじゃないかなと思います。

只野:
ぼく、以前からイベントとかあるごとに、この建物の中にいろんなものを入れたり出したりしてたんですが、たまたま一番上までのぼって、各階ずっとのぞいてみて、その時思ったのは、これもともと銀行さんで、4階は独身寮だった。1部屋1部屋に畳なんかあって、窓には網戸があって、すごく生々しいですよ。ここで、昼は上司にしぼられ、夜はここでやけ酒なんか飲みながら、上司の悪口なんか言ってる人いたんだろうなと。怨念なんか感じるあやしい雰囲気の4階でした。

金藤:
ありがとうございました。見方を変えて楽しめるということですね。
今度は門脇さん、佐藤さんにお聞きしたいのですが、今まではアートを見る場所は美術館とか、ギャラリーという感じのところだったと思うんですけれど、なぜ街に飛び出してきたのか。社会とつながったアートにこだわっているのでしょうか。

門脇:今回、伊万里焼のひろ埜さんのステキなお店の隣に空店舗があって、そこに私の作品を展示しているのですが、展示しているのは木と、それをもう一度そっくりにつくたものです。
私は以前、写実的な風景がを描いていて、それをリアルなものと感じていました。そういうのをつくったいたある時、宮城教育大の村上タカシ先生のアート・プロジェクトに出会い、仙台の一番町に作品を展示しました。そこでモノとしての作品のリアリティよりも、商店街の方とかかわりながら自分の考えた展示について説明し、賛同を得ていくことにリアルなものを感じました。
最初、説明に行っても、10分くらいずっと説明を聞いた後、何を言っているのかまったくわからないと言われたり、逆におもしろそうだからやってみようと言われたり。その時におぼえた感動というものは、自分ひとりで作品をつくっていき、それができた時の感動とはまったくちがった感動であり、その複雑さや豊かさは、比べようもないほどのリアルさだったんです。
そこでモノをつくる、アート作品自体が目的であるという姿勢から、アート作品がコミュニケーションツールで、コミュニケーションの方が目的、つまり、アート作品をつくるためにアート作品をつくっているのではなく、人とリアルにコミュニケートするためにアートをつくってるんじゃないかと最近、思うんです。
お店の方というのも、実はお金を得るためだけにご商売でモノを売っているのではなくって、お客さんと関わるためにモノを売ってる、と考えられるんじゃないか。逆にそう考えていかないと、誰も幸せになれないんじゃないか。モノをつくることから、関係性をつくることへ、私は移っていったわけで、それがアート・ウォークを行うことになったきっかけといえます。

佐藤:
ボクは作る個人の表現というのは、それぞれに物語があると思うんですが、それはそれぞれの表現に帰依する部分だと思っているんですが、建物にせよ場所にせよ、本来もっている目的というものがあるのあかなと個人的には思っています。たとえば、こちらの建物でいえば、銀行で、銀行という目的をもった建物だったと。場所にせよお店にせよ、何の目的ももたない場所や建物というものはないと思います。もともと何らかの目的をもっていた場所が、本来のその目的を失ったときに意味が変わってしまう。様々な表現者がそこにかかわることで、その場所の意味がまた変わってきたり、その雰囲気がかわったり、それから同じこのジュースでもテーブルの上にあるときと、屋根の上にあるとき、それから海の上に浮かんでいるときと、ある場所によってそこに感じるものというのはもしかしたら違うかもしれないし、その意味も変わるかもしれない。ですから、作品がそこに置かれることによって作品の意味もまたそこで変化するかもしれないですし、場所も意味や雰囲気もまた変わってくるかもしれない。そんなようなことが、それぞれの方の表現行為として、いろんな多様性をそこで見せることができるれば、見る方がいろんなことを感じていただけるんじゃないかと、そういう場所があるということが、非常にいいことじゃないかと思いますので、それを今、門脇さんからお話あったように、コミュニケーションのきっかけにされているとか、「あれ何だべね」みたいなところから話が始まっていきながら、やがてそれが見慣れたものになってくるかもしれないし、もともとの意味というのが変わってくるかもしれないし、また新たな意味がそこに出てくるかもしれない。そんなこととしていろんなことを考えるきっかけとして、作家がどんどんかかわってくるというのは、日常の中に入ってくる刺激物としておもしろいんじゃないかと思いますし、何より今まで見たことなかったとか、そういうことで感想もたれることがおもしろいんじゃないか。見たことないというのをみてもらうことから始まればおもしろいんじゃないか。中で作家さんが、今日来て終わりというんじゃなくて、期間中、何度も来て制作をつづけていたり、内容を変えたりということがあります。ご覧になったとき、それをつくっている作家さんがいたら、声をかけていただいたり、直接「これは何ですか」と聞いていただければ一番いいんじゃないかと思います。そこからコミュニケーションというか、お互いに、そこから話が始まればおもしろいかなと思っています。見て、「うーん」といって腕組してひかれると、お互いにひくと思いますので、はっきりわからなければわからないといって、何だと言っていただければ一番いいんじゃないかなと思います。

金藤:
なぜ美術館じゃなくて社会とつながるアートといいますか、社会の中に溶け込んだアートであるのか。その存在意義は何かと言えば、コミュニケーションといいますか、実際に話を聞いたり、自分の中だけで考え込んだりするのではなくて、声をかけ、リアルに作品と向き合えたり、それがきっかけとなって広がるものがあるということだったのではないかと思うんですけれども、街のみなさんはこれもアートだということで紹介されたりとか、コミュニケーションも若干うまれたと思うんですが、今日、何かありましたでしょうか。

 

つづく

 

 

 


home