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ペットショップと動物愛護センター
どうぶつを飼いたいと前から思っていて、ずいぶん前からさがしています。下の写真、1・2段目がペットショップで、その下が動物愛護センターです。人気のないどうぶつは、殺されてしまいます。ぼくは夏休みの宿題の弁論文で、そのことについて書いてみました(こちら)。よろしかったら読んでみてください(すこし先生に手伝ってもらいました)。

 

 

「生命(いのち)の大切さと私たち」

 最近、家の近くでよく捨て犬や捨て猫を見かけます。ぼくは犬や猫が大好きなので、そうした光景を目にすると、いたたまれない気持ちになります。ぼくは、なぜそんな動物が出るのか考えてみました。
 それは、たとえば、小さい頃はかわいかったが、大きくなって、それほどかわいくもなくなってしまったから、とか、えさ代、予防接種、病院代などのお金がかかる、うるさい、散歩に行ったりトイレの世話をしなくてはならないなど、飼うのが大変といった理由が考えられました。しかし、考えてみれば、どれも飼い主としての責任という点から見れば、当然のことであり、こんな理由で捨てられるなんて、あまりにかわいそうです。
 捨てられた犬や猫は、いったいその後、どうなってしまうのか、知っていますか? それらの動物は、捕まって動物愛護センターというところに行きます。では、そこに連れて行かれた動物が、どのような運命をたどるのか、みなさんは知っているでしょうか。
 「愛護センター」とはよく言ったもので、すこし前までは「保健所」と呼ばれていたそうです。確かに、かわいい犬は新しい飼い主が見つかることもありますが、人気の無い犬は「処分」されます。「処分」という言葉は、うまくごまかしていますが、実は殺すことで、悪い言葉で言うと屠殺、人で言うと死刑です。
 つまり、捨てられた動物は保健所に行き、飼い主が見つからないと、屠殺されてしまうのです。このことをどれだけの人が知っているでしょうか。捨てたら、おそらくは近いうちに人知れず、たったひとりきりで殺されてしまうのです。罪のない犬がこんなことになって、本当にいいのでしょうか? ぼくは、こんなことはよくないと思います。
 では、なぜそんなことができてしまうのでしょうか。犬や猫という言葉に、「捨て」という言葉をつけてみて下さい。それだけで、きたないイメージや、かわいくないイメージが与えられ、最終的には、捨てられても仕方ない犬や猫、というイメージがついてしまうのではないでしょうか。同じ犬や猫なのに、まるでもとから悪いもののように見えてきてしまいます。
 このように、「処分」や「捨て」犬という言葉は、ちょっとした言葉の使い方、「言葉のトリック」によって、人の行為を正当化したり、深く考えることをさまたげたり、ひとの痛みに鈍感になることを許したりするのです。
 また、「雑種」という言葉も、こうしたものの一種でしょう。逆に雑種でない犬、血統書つきの犬に高いお金を出して飼う人も多いですが、これはペット業者の手にまんまとひっかかっているような気がします。そしてこれもまた、捨て犬、捨て猫が新しい飼い主を見つけられない理由のひとつです。
 こんな言葉のトリックは、まだまだいっぱいあります。それによって、自身の良心に背を向けたり、やさしい心をもつことへの道を閉ざしてしまってはならないと思います。私たちのこころざしひとつが、小さないのちを救いも殺しもするのです。人間も、動物も、命の大切さには、変わりはありません。生きたいという気持ちには、人間も動物もありません。
 犬、猫、すべての動物を、同じ生きるものとして、適当に飼うのではなく、ちゃんと責任をもって大切に最後まで飼ってほしいと思います。

 

 

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